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オルタナ

ライブと映画

戦場のメリークリスマス

映画

”戦場の”という冠から戦争をテーマにした映画だというのは火を見るより明らかだったので男臭さを全面に押し出した血の匂いが充満する内容だと自動的に予想していたわけですが、実際は男ならではのプラトニックさを全面に押し出した薔薇の香りが充満するお話でした。途中(というか最初の裁判のシーン)から感じていた違和感はラストで確信に変わり、最終的には初めに感じた違和感を圧倒的に上回る安らかな調和感で胸がいっぱいになった。

もし「これはどういう映画なの?」って人に尋ねられたらすっごく悩んだのちに「プラトニック・ラブの最高峰だよ」って答えると思います。にわかボーイズラブ読者の私だけど、「敵に一目ぼれ → 職権濫用してまで愛する人の危機を回避、自分の目下に配置 → 煩悩を払拭するためスポーツに打ち込む → それでも忘れられず苦悩する → 思い人からの突然のキスで失神」というこの一連の春の小川のようにうららかな王道BLの流れには完全に心を掴まれたし、これまでのBL的流れから最後はハグシーンくらい来るかな?となんとなくは予想してたけど不意のキスシーンをぶち込まれ、絶対に来ると分かっていたのに受身を取ることを忘れてまんまとストレートを決め込まれ、呆然と虚空を仰ぎ見る柔道選手のような状態になっていました。けどそれなら別にプラトニック・ラブじゃなくてボーイズラブの最高峰と言えば良いのです。しかしわざわざそう表現しなかった理由はやっぱりラストのヨノイがセリアズの髪を一束切って敬礼するシーンに、単なる性愛や己の欲望を超越した恭敬と自分と相手に対する絶対的な誇りを感じずにはいられなかったからです。立場も人種も信条も違う(自害に対する考えとかは正にそう)人々が交錯する戦場下という異常な状況において、こういった形で現れる慕情の清廉さは何者にも傷つけられず、また決して汚されることのない唯一の美しいものだと思う。
ハラとローレンスも最後まで友情と呼ぶにはあまりにもちぐはぐで歪な関係のままだっだけど、戦中・戦後を通しても二人の間に通う思いが変わらなかった事実は、最後のあの「メリークリスマス、ミスターローレンス」の言葉と彼の笑顔に集約されていると思う。どんな環境や状況の変化を以てしても壊すことのできない真っ直ぐな愛情がある、という広い意味を込めてこの作品を「プラトニック・ラブの最高峰」と呼びたいです。

演技については太くて白い冬の野菜を思わずにはいられなかったけど、配役はこれで間違いなかったと思います。ただトム・コンティのカタコト日本語が聞き取れない箇所が多かったから、日本語にも日本語の字幕が振ってあればなお良かった。デヴィッド・ボウイは当時20後半くらいでしょうか、高校時代の役はちょっと見た目にキツイ(美しいのは美しいです)ものがあるから、そのシーンの時だけは眼鏡を外して観てちょうど良い塩梅になると思います。シーンの切り替わりも昔ながらというかちょっと演劇的な手法が多くて切り替わるたびに現実に戻ってしまうのが個人的に惜しかったな。

女性が一切登場しない(声すらない)という演出は話に沿ってて良かったと思います。