オルタナ

ライブと映画

『さらば、愛の言葉よ』 ※ネタバレあり

言わずと知れた巨匠・ゴダールの最新作を3Dで観てきました。

最初から最後までゴダールの作品を一本しっかり観るのはおととしDVDで観た『勝手にしやがれ』(1959)ぶりで、実は彼の作品を見るのはこれでやっと2本目なのです。映画の知識も素養もない私だけど、鑑賞中はずっと映画とは(映像とは)、という漠然とした問いが頭の中で落ちかけの線香花火みたいにちらついて離れなかった。まるで走馬灯のような69分間で、色彩が美であり暴力であり、音楽が快であり不快であり、言葉が意味を持つものであり、また同時に記号でしかなかった。ポラロイド写真のようなしらじらとした明度とコントラストの中で、水と森と血と犬と女の体だけが生き生きと命を持って動いていて、脈絡や状況の整合性なんてほとんど意味を成さない、"たしかにそこにある"という不安定な感覚だけが存在と理由を証明する唯一のものだった。


3Dの仕掛けで面白かったのは、右目と左目で見える映像が違ったシーンがあったこと。両目で見ると対象物(おそらく人間二人)が完全にオーバーラップしていて何が映し出されているのかさっぱり分からない映像だけど、片目で観るとひとりひとりの実像がちゃんと結ばれる(ここで初めて人間が映ってると確信できる)。片目で見れば一人一人を個体として認識出来るけど、両目で見ていたときのように交わることはない。両目で観れば二人は交われるけど、その代わり個体として認識出来なくなる。うまく説明できないのがもどかしいけど、こういう3Dならではの仕掛けがとても良かった。あとは全体的な印象としてそれ飛び出させる必要ある?と聞きたくなるようなものばかり飛び出していたような気がする。ベンチとか机とか、平面でいいものが眼球にめりこむように迫ってくることによって、結果的に画面の奥への訴求力が強まったように感じた。そういう随所随所にゴダールのセンスと映画への執着心を感じると同時に、3Dが一体映画に何を残したんだ?っていうある種の皮肉みたいなことも思わざるをえなかった。

全編を見た感想としては、言葉を言葉として、映画を映画として、映像を映像として、現実を現実として捉えることの限界を思った。どこかのプレス紙が「これはゴダールの遺言だ。」という批評を書いていたのを見て、私が見始めて最初に感じた走馬灯という印象はあながち間違ってはなかったのかな、と思いました。

個人的に一番印象に残ったのは「水の中に真理を見つけた者もいる、モネだ」ってセリフと、冒頭の「想像力を欠く者はみな、現実へ逃避する」っていうセリフ。観終わって1週間経った今、心にこういう言葉のひっかき傷がたくさんついていたことに気付いた。私にとって、言葉とさよならするのはまだ難しい。

 

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