オルタナ

ライブと映画

『フランシス・ハ』

非モテ」とか「ハンパなわたしで生きていく。」とか別冊マーガレットで連載中の少女漫画の売り出し文句かよ、と突っ込みたくなるようコピーが付けられていたのでどうせ恋愛ドタバタハッピーコメディの類だろうと決めつけてかかり、ごく軽い気持ちで観に行った作品です。でもいざ観てみるとそんなあからさまな輪郭のあるものではなく、もっともっとやわらかで個人的な物語で、最後は良い映画を観たなという多幸感でいっぱいになりながら帰路に着きました。以下感想。

始まってからしばらくは現代の映像なのに白黒の画面っていう違和感に慣れるのに気を割いたけど、途中からは気にならなくなった。いざ映画の内容を振り返ってみると、あのシーンで着てたフランシスのセーターの色とかソフィーの眼鏡の縁の色とか、色は着いていなかったはずなのにとってもカラフルに頭の中に浮かんでくる。白黒で提示されるからこそ観客それぞれの経験やセンスに基づいた色彩に自由に着色されて、結果的にカラー映画で観るよりも鮮やかな印象を受ける、という視覚効果の典型的な例だと思う。ただ、やっぱりグレースケールの中から聴き慣れたiPhoneの着信音が響くというのは、自分が100年後の人間になって昔の映画を観ているような気分で変な気分でした。
中盤でフランシスがボウイのモダン・ラブで街を疾走するシーンは、石畳の乾いた硬さや鼻腔に反響する冬の空気の冷たさが画面を通してリアルに伝わってきそうなほど生き生きと描かれていて素晴らしかった。元ネタの「汚れた血」でアレックスがパリの街を疾走するシーンと同様、福音的にこの音楽が挿入されていて、どちらの映画も好きな私はたいへん嬉しかった。

全編を通して印象に残ったのは、フランシスとソフィーの距離感の変化。熟年レズビアンカップルみたいね、と言って笑い合うほど仲の良かった友達が自立して大人になって自分の道を進んで行く一方で、ひとり取り残されていくあの奥歯を一本抜かれた後みたいな埋めようのない喪失感がよく表されていて、見ていて胸をかき混ぜられるようだった。特にソフィーとフランシスの「メール送ったでしょ?」「そんなの届いてない!」「だってほらここに送信履歴が」「やめて、お願いだから証拠なんか見せないで。分かったから。」ってやり取りは思わずフランシスに感情移入して頷きながら観てしまった。

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この話の結末はいわゆる王道のハッピーエンドではない。確かにフランシスの人生はうまくいかないことばかりだったかもしれないけど、それでも彼女の人生を不幸なものとしてではなく、至って“普通”のこととしてごくフラットにかつその先に希望すら見いだせるくらい明るく描ききってくれたことに心からホッとしたし嬉しかった。夢を叶えられなかった人の人生や、社会からはみ出した人の人生は、往々にしてまるで見せしめのように悲観的に描かれることが多い。そんな中、こんなふうに全てを肯定してくれるような作品に今この季節にこの年で出会えてよかったと思う。