オルタナ

ライブと映画

『ファニーゲーム』

ハネケの作品の中で最も有名であろう『ファニーゲーム』をやっとこさ観ました。
別に避けてたわけではなく何となく見てなかっただけなのですが、噂通りのひどい映画でした。ちなみに私がハネケに対して使うひどいは褒め言葉です。以下、ネタバレ含む感想。

*

正直、30分経ったあたりでもう観るのがしんどくなった。胸糞映画の金字塔と名高い作品なので、ゴキブリの巣の壊滅に防護服を着て10キロ離れた場所から爆弾の遠隔スイッチを押すかのごとく完璧な精神武装を行なってから見始めたわけですが、もう前半1/3の時点で全ての心構えを無に帰すくらいの胸糞悪さを発揮してくれました。話が進むにつれて残虐性や理不尽性は更に増していくけど、私はこのしょっぱなの殺人犯たちの図々しいシーンが一番イライラしました。日常レベルでもたまにいるよね、こういう人。この話の怖いところは、たとえば道を歩いてたらいきなり知らない人に刺されるとか空から鈍器が降ってきて死んでしまうとかそういう天文学的な不幸から始まるんじゃなくて、日常のほころびやぬかるみに後ろからそっとナイフを刺しこまれるような、もしかしたら何かのきっかけで自分たちにも起こり得るかもしれない出来事から始まるところだと思う。『セブンス・コンチネント』では日常の自壊を、『隠された記憶』では無意識の暴発を描いていたハネケですが、うまくいっていたものが歯車を違えたようにガラガラと壊れていく様子を描かせたら彼の右に出る者はいないと思います。

この映画の一番気持ち悪いところ(核と言い換えてもいいかもしれない)は、犯人がたびたびこちら(観客)に向かって声を掛けるところ。大抵の人は被害者家族に同情を持って鑑賞し、犯人には怒りや嫌悪感しか覚えないと思うんだけど、そんな犯人から「(家族が生き残るか死ぬか)どっちに賭ける?」と笑顔で問われたり、途中でウィンクされたりと非常に気分が悪い。何で気分が悪いのかって考えると、自分が単なる傍観者ではいられなくなるから。「暴力をかっこいいもの・正しいものと美化して使用するハリウッド映画に対して、暴力の持つ本質的な恐ろしさを表現したかった」とハネケはインタビューで言っているけど、この映画はその言葉通りハリウッド映画自体に対するアンチテーゼであると同時に、それを娯楽として消費する鑑賞者へのエクスキューズも含まれているんだとこのシーンを見て感じた。
ラストシーンで犯人が、「虚構は現実と同じくらい現実だ」という決定的なセリフを放つけど、映画なんてたかが虚構なんだから何をしたって平気だし現実とはしっかり区別がついている、という人ばかりであるならばこの映画はここまで賛否両論を巻き起こさなかったのではないでしょうか。

もう今のところしばらくは絶対に観たくないし、人にもあんまり堂々とおすすめできない映画だけど、毒を以て毒を制すような、ある種の必要悪として見続けられるべき作品だと思う。